1: :2016/12/21(水) 18:47:51.83 ID:
「逃げ恥ブーム」は社会現象になった(c)TBS
12月20日、ついに最終回を迎えたTBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(以下、『逃げ恥』)。最終回の平均視聴率はシリーズ最高の20.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録し、TBS火曜ドラマ枠の歴代最高視聴率を達成した。
まさに国民的人気を博したと評しても過言ではない『逃げ恥』だが、その魅力は何だったのだろう。真っ先に挙げられるのは主演を務める星野源と新垣結衣のふたりの「キュートさ」だ。けれど、もうひとつ無視できない要素がある。
それが、ストーリーを通して描かれる「他者との関わり方」、そして「他者へ向けるイメージ」についての繊細な視線だ。
●『逃げ恥』が提示した「旧来的な価値観」に対する新たな視点
『逃げ恥』は恋愛経験がない津崎平匡(星野)と、大学院を出たが、派遣切りにあった森山みくり(新垣)が契約結婚をして、夫婦の役割を演じる中で、互いの距離感が変化していくラブコメディーとして広い支持を得た。
平匡が雇用主、みくりが従業員となって雇用関係を結ぶという、ユニークな婚姻の形においてポイントとなるのは、二人の「偽装」結婚から生まれるおかしみや、雇用という形式的な関係から次第に漏れ出てしまう、お互いの感情の高まりである。
この構造を言い換えると、社会が抱え込んでいる旧来的な価値観をどのように見つめ直せるかという論点を、ラブコメディーの中でごく自然に提起・検討するという行いにほかならない。契約結婚という関係は当初、不自然でぎこちないものとして描かれる。けれども、次第に伝わってくるのは、平匡とみくりの関係性から生まれるやりとりは、私たちをとりまく結婚観、仕事観を静かに問い返すものでもあるということだ。
第10話、平匡とみくりが晴れて本当の恋人関係になったのち、二人の籍を入れるにあたって平匡は、みくりに「給与」として渡していた金額を貯蓄に回すことを提案する。
もともと、契約上の賃金労働として「妻」の役割がスタートしていたからこそ、ここにきて夫婦の一方が負担を抱えることの不自然さが浮かび上がる。「普通」の結婚に移行することで、みくりが正当に受け取っていたはずの賃金は、「愛情」のもとにうやむやになり、家事はどこまでも無報酬でみくりに負わされることになってしまう。ひとりよがりな平匡の提案に対して、それは「“好き”の搾取」であるとみくりは指摘する。
この不均衡は、平匡とみくりにだけ浮上した課題ではなく、私たちの社会が抱え込んでいる既存の、ある種の旧来的な結婚観に通じる問題でもある。つまり「人ごと」ではないのである。契約結婚から真の愛情に発展するだけで、すぐさま幸せな結末を迎えるような簡単な展開を見せないのがこの物語の誠実さだ。
みくりの指摘を受けて最終回で試行錯誤される二人の関係の「再構築」は、両者が対話を重ねつつ、目の前の状況に柔軟に対処する方向へと導かれていく。夫婦間に「役割」と「対価」をはっきり持ち込んだトリッキーな実験が、実はパートナーとの関係を根源から着実に見直すものになっていることに気付かされる。
●『逃げ恥』キャラの葛藤は、私たちと地続きのところにあった
既存の価値観にまつわる悩みは、みくりの伯母で49歳のキャリアウーマン・土屋百合(石田ゆり子)と、平匡の会社の後輩・風見涼太(大谷亮平)をめぐる描写にもうかがえる。
第9話、百合が手掛ける化粧品の広告の地域限定版が、彼女が守ってきたポリシーを大きく曲げるような、異性の視線を意識する「モテ」を強調したデザインにされてしまう。これは今年SNS上を賑わせた広告の炎上騒動を思い起こさせる、現実社会の「旧来の価値観」を映し出したエピソードでもある。
「自由に生きる」ことをコンセプトにしてきた百合がその広告を取り下げるよう上司に講義すると、男性上司たちに「いまだに独身なのがわかる」「それもあって必死なんだ」と陰口を叩かれる。独身のキャリアウーマンであることによって受ける言葉には、やはり旧来的な結婚観や女性観からくる偏見がにじみ出ている。
>>2以降に続きます
更新 2016/12/21 11:47
https://dot.asahi.com/dot/2016122100095.html?page=1
12月20日、ついに最終回を迎えたTBS系ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(以下、『逃げ恥』)。最終回の平均視聴率はシリーズ最高の20.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録し、TBS火曜ドラマ枠の歴代最高視聴率を達成した。
まさに国民的人気を博したと評しても過言ではない『逃げ恥』だが、その魅力は何だったのだろう。真っ先に挙げられるのは主演を務める星野源と新垣結衣のふたりの「キュートさ」だ。けれど、もうひとつ無視できない要素がある。
それが、ストーリーを通して描かれる「他者との関わり方」、そして「他者へ向けるイメージ」についての繊細な視線だ。
●『逃げ恥』が提示した「旧来的な価値観」に対する新たな視点
『逃げ恥』は恋愛経験がない津崎平匡(星野)と、大学院を出たが、派遣切りにあった森山みくり(新垣)が契約結婚をして、夫婦の役割を演じる中で、互いの距離感が変化していくラブコメディーとして広い支持を得た。
平匡が雇用主、みくりが従業員となって雇用関係を結ぶという、ユニークな婚姻の形においてポイントとなるのは、二人の「偽装」結婚から生まれるおかしみや、雇用という形式的な関係から次第に漏れ出てしまう、お互いの感情の高まりである。
この構造を言い換えると、社会が抱え込んでいる旧来的な価値観をどのように見つめ直せるかという論点を、ラブコメディーの中でごく自然に提起・検討するという行いにほかならない。契約結婚という関係は当初、不自然でぎこちないものとして描かれる。けれども、次第に伝わってくるのは、平匡とみくりの関係性から生まれるやりとりは、私たちをとりまく結婚観、仕事観を静かに問い返すものでもあるということだ。
第10話、平匡とみくりが晴れて本当の恋人関係になったのち、二人の籍を入れるにあたって平匡は、みくりに「給与」として渡していた金額を貯蓄に回すことを提案する。
もともと、契約上の賃金労働として「妻」の役割がスタートしていたからこそ、ここにきて夫婦の一方が負担を抱えることの不自然さが浮かび上がる。「普通」の結婚に移行することで、みくりが正当に受け取っていたはずの賃金は、「愛情」のもとにうやむやになり、家事はどこまでも無報酬でみくりに負わされることになってしまう。ひとりよがりな平匡の提案に対して、それは「“好き”の搾取」であるとみくりは指摘する。
この不均衡は、平匡とみくりにだけ浮上した課題ではなく、私たちの社会が抱え込んでいる既存の、ある種の旧来的な結婚観に通じる問題でもある。つまり「人ごと」ではないのである。契約結婚から真の愛情に発展するだけで、すぐさま幸せな結末を迎えるような簡単な展開を見せないのがこの物語の誠実さだ。
みくりの指摘を受けて最終回で試行錯誤される二人の関係の「再構築」は、両者が対話を重ねつつ、目の前の状況に柔軟に対処する方向へと導かれていく。夫婦間に「役割」と「対価」をはっきり持ち込んだトリッキーな実験が、実はパートナーとの関係を根源から着実に見直すものになっていることに気付かされる。
●『逃げ恥』キャラの葛藤は、私たちと地続きのところにあった
既存の価値観にまつわる悩みは、みくりの伯母で49歳のキャリアウーマン・土屋百合(石田ゆり子)と、平匡の会社の後輩・風見涼太(大谷亮平)をめぐる描写にもうかがえる。
第9話、百合が手掛ける化粧品の広告の地域限定版が、彼女が守ってきたポリシーを大きく曲げるような、異性の視線を意識する「モテ」を強調したデザインにされてしまう。これは今年SNS上を賑わせた広告の炎上騒動を思い起こさせる、現実社会の「旧来の価値観」を映し出したエピソードでもある。
「自由に生きる」ことをコンセプトにしてきた百合がその広告を取り下げるよう上司に講義すると、男性上司たちに「いまだに独身なのがわかる」「それもあって必死なんだ」と陰口を叩かれる。独身のキャリアウーマンであることによって受ける言葉には、やはり旧来的な結婚観や女性観からくる偏見がにじみ出ている。
>>2以降に続きます
更新 2016/12/21 11:47
https://dot.asahi.com/dot/2016122100095.html?page=1
2: :2016/12/21(水) 18:48:19.74 ID:
なってねーよ
3: :2016/12/21(水) 18:48:37.55 ID:
【【批判殺到】「逃げ恥」が“国民的ドラマ”になり得た理由を検討した結果・・・】の続きを読む
20%で国民的とか言われても